型にはめたくないって話
- teapeicoffeead
- 2023年7月5日
- 読了時間: 3分
更新日:2023年7月23日
音楽を聴く。絵画を見る。映画を鑑賞し、小説を読む。
こういう、誰かのアウトプットを自分にインプットするとき、享受されるとき。
どうして接していくのが良い在り方なんか。
どうしても、人間、今までの価値観とか知識に照合して、
近いもの、似ているもの、同じ範疇にくくれそうな大まかな分類…
などと比べてどうであるか。
どう形容したものか。
これはどういった系譜から出てきたのか。
といったラベルを貼って行くのやと思う。
考察する、というやつ。
それはめっちゃめちゃ大事なことで、崇高なものでもあると思う。
自分の頭の中で整理して、解釈するという一連の行為が。
翻って自分は。
解釈とか結びつきを求めてはいない。
というか、なるべくそうしたくない。
それって、型にはめてしまうのに近いのでは?と思っているから。
出来るだけ、ありのままに受け取る。
勝手に裏をかいたり、行間を読みにはいかない…
というか、気質上いけない(笑)
この音楽は、〇〇年代の、~ってジャンルの、あのバンドの曲からの直系やな。
てのをしないようにしてる。
あんまりそういった行為に興味がないのもあるけど、
その見方でしか考えられん様になりそうな気もしてる。
あぁ、この人たちの音楽はこういうモノなんやなぁ。かっこよ。
ぐらいの感想しか出てこない…
もちろんのこと、自分なりに咀嚼して、理解、納得したモノを血肉として
自分の活動に活かす。というのも滅茶苦茶ダイジ。
でも…なんというかなぁ…
あえて解き明かさない楽しみ。とか言うと、嘘くさくてヒガミっぽいけど
それに近い感覚ではいる。
あれこれ嗅ぎ回らずに、自分の世界だけで一本勝負、みたいな。
自分が「創る人」である自覚はある。
そして、なるべくなら混じり気のない、基準のない、解き明かせない。
そういった創作を目指してる。いや、ここ最近目指すようになった。
純度の極めて高い、自分の世界観で完結するような。
もちろん、今の自分を作り上げるためには色んな既存の音楽、文章、映像、あらゆる感覚が
礎になってるのはわざわざ言うまでもないけど。
もし音楽を作ったならば、
音感が、リズムが、ピッチがよくない。
それってじゃあ、なにを基準に?
私の作品は、「これで正解」なんですけど?
ぐらいに在りたいとすら思う時がある。
他者が触れたときに、
「あ、これってこういうモノなんや。この状態が正しいんや。」
と思わせたらこっちのモン。
とか言うてもですね、自分にだって、深く掘り下げたい事柄の1つや2つぐらいはありますよ。そりゃ。
うんちくとして蒐集したいことだってある。知識欲それ自体は旺盛な方かもしれない。
ただ、創り出すことに関しては、まずは自分というエゴが真っ先に来ないと、
周りと同じ規格に収まってしまう。
それはそれで、親しみやすい、馴染み良いキャッチーなものが出来るでしょう。
逆に、自分の色の純度が高すぎると、他者からは聞きにくい、見にくいモノにはなっていってしまう。どうしても。
他者の中には無い価値観、基準で作られてるから。
よう言う、現代アートは取っつきにくい、理解が追いつかない…
みたいな月並みな言葉も、言い得て妙、しっかり正鵠を射抜いてはいたらしい。
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