アルバムについての後書き
先月にだしたアルバムは何を以ってして考え出されたものなのか。 そんな特に何の毒にも薬にもヘチマにもならない後書きをちょっと。
↓以下本文↓
どんなアルバムを作ろうと思っていたのか。
最初はこんなコンセプトは打ち出してはいなかった。
いつもと同じように、溜まっていく一方のデモ音源をコネ回すつもりでいた。
しかし、色々と考えを巡らせる機会、出会い(?)があり、こうなった次第。
一気に収録曲を描き下ろした。それはもう中々の勢いで。
まず、圧倒的な濃さが欲しかったのは、ある。
Deep PurpleのMachine Headみたいな、ミチッミチに詰まったようなやつ。
曲数は多くなく、そしてこれ以上削れないようなギリギリの臨界点というか。
Led ZeppelinのⅣとか、The WhoのWho's Nextもそうかも。
(なんかハードロック系がつづくな…ここいらでThe BeatlesのRubber Soulでも入れておくか)
それを、和製の初期The Cribsと(一部から)言われた我々のガレージロック、パンクの土台の上で作り上げてやろうと目論んでいて、そうなったと思う。
そんなまだ輪郭の曖昧な概要を考えていた折、2023年ごろか。
その前から傾向的に自分の中にあった、疑問というか「持論めいた何か」を嫌な方向から刺激された覚えがある。それが出会い(?)。
ヤツである。
自称元プロのブルースギタリストの某氏。
10代でニューオーリンズだかにわたり、本場で揉まれたフィーリングが云々カンヌン。
知らねー、と言いたい所だが、この人がまた曲者で。
これまた自称、辛口オジサンらしく、兎にも角にも「日本人のリズム感の悪さ」をあげつらう論う。
常に酒に呑まれたような熱量でくだをまき、「蛇足が多いなぁ」と思わせられる独自の説明で、とにかく日本人ミュージシャンを批判する人。
結局何を伝えたいのかは判然としない… まぁ、音楽って感覚とか感性の部分が大きいからね…(一応の受容)
こういう、いわゆる所の『声の大きい人』の断定口調が苦手なのである。
そんなさぁ、言い方でさぁ、言わんでもええやん…
「〇〇はこうあるべき、それ以外は認められない」論法とでも言おうか。
それが新しいジャンルや範疇を産み出すとは思わんのだろうか、
「あ、こういうモンなんだ」と一旦受け入れることは出来ないものかね、とよく思ったものだ。
日本人には日本人なりのリズム感や、親しみのある拍子の打ち方というものがあると思う。
それが伝統的なブルースと相性が良いか悪いかはわからない。
多分よく無いのだろう。
だから彼は怒りを顕にする。
そりゃあ、だって。
ブルースやロックなんか海外から来たもの。
馴染みにくくても仕方がない。
そこで辛口に吠えるのでなく、端的に理論的に寄り添えないもんなんだろうかね、なんてよく思っていた。
手短に言うと、わかるように言って、俺らにも。て感じ。
「吠え」がアイデンティティだったのだろうか。
なんだったなら、ジャパンブルース爆誕!とか言って、典型的な日本フィーリングのブルースを立ち上げて演奏したっていいぐらいに感じる。
それがかっこいいか、ダサくて聴いてらんねーかはまた別の問題でね。
自分にはもともと、何年も前から「無拍節の音楽」に憧れがあって、決まったリズムがないけど音楽が成立しているってことにロマンを感じていた部分は大いにある。
「リズム・拍節がないけど音楽として、ロックとして成立してる」そんな曲を作りたいと考えるようになったし、「それは曲なのかただの音の羅列なのか」てなことも試すようになってた。
その音は偶然か、意図したものか。
どんなものでも「世の中にはそういうモノもあるのか」と思いたかったし、なるべく先入観とか固定観念に居着かないようにと考えてきた。
だから、自分が納得できなかったり、受け入れ、理解できないものに辛辣な向き合い方をする、「そんなんじゃあ〇〇じゃないよ」と一蹴する態度がすごく嫌に感じたのかもしれない。
後から思うと、彼(辛口おじ)は彼なりのこだわりを踏みにじられているような気持ちだったのかもしれないけどね。
同じ時期にSNSもやめた。
やっぱり、声がでかい人の正論パンチがあまりにもしんどかったのと、誰に対しても「この自分の発信が、意図せずどっかの誰かを嫌な気持ちにしてないだろうか」という感情がつきまとってしまって楽しめなくなったから。
そして、恥ずかしながら。
自分の創作、作品なんて殆どの人が興味がないってことにも”分からせ”られたせいかもしれない。
承認欲求。くだらない。
押しも引きも出来なくなって、やめた。
それは多分正解であったと思う。
自分は、あらゆるものを「自分がまだ知らなかっただけのそういう種類のナニか」だと認めたかったんだと思う。
そしてさらに時を同じくして、日本民謡とか雅楽にハマっていた。
「ロックだってブルースだってポップスだって、辿っていけばどっかの民謡の筈」
「おお…日本民謡ってなんてロックな…いや、パンクですらある」
「このリズムにうるさい辛口のオッサンが、雅楽聴いたらなんて思うんやろ」
なんて思ったりもしてた。
この、時期と嗜好の重なりが、ビビンバ3枚目のアルバムのコンセプトを決定づけたと思う。間違いなく。
自分は、
日本人である。
大和民族である。
日本語の話者である。
今度のアルバムは
どんな角度で聴いても、「オゥ…ジャパン…」と言わしめたい。
そして同時に、自分がやりたい事とそれに準ずることを否定されたくない。
否定しないでほしい。
別に両手放しで肯んずらずともよい。
西洋的な感覚の、「よくある洋楽っぽいような曲」に日本語をただ乗せるではなく。
音だけ日本っぽいなら。と、せっかくの和楽器でロックやらポップスやるでもなく。
いつまでも”洋楽”に憧れて追いかけてるだけじゃつまらないと感じてたと思う。
あまり洋楽という言葉は好みではないが、敢えてそう言う。
…やったろうやんけ。パンク、ガレージロックで”日本”。
アルバムジャケットの Japunk Rock ってのはこれのことである。
まぁ、そも成り立ちが洋楽好きの集まりでもあったビビンバでやる以上、ロック・パンクの成分として存在はしてるさ、”洋楽”の要素はね。
それも自分達の一面なので、良い。大歓迎。
同時に「自分とは何者なのか」を常に念頭に置いて作った。
”っぽさ”が大事なんやと。
しかし、メンバーが2人だけなのでアイディアのぶつかり合いというか、何人もメンバーがいるからこそ起きるようなケミストリー、その乏しさは否めないとは思ってる。
ほとんど自分が組み上げたデモ音源でかなり詰めて作ってたし。
そんな中で、相方のドラマーさんぞうがやってくれた。
常に最高以上の答えをこっちに突きつけてくれたし、それによってまたアレンジを考え直し、デモとは全く変わった曲だってある。
メンバーからの進言は活性剤というか。
あいつは凄いやつよ。
なので作品としての爆発力は中々なものになったと自負してはいる。
こんなん、誰が作るねん、と胸を張って(?)言える。
次作るアルバムがこの路線を継承してる保証はないけどな。
聴いてよ、楽しいはずやから。
とか、結構マジに思っちゃいる。恥ずかしいけどね。

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