気づいたらもう夏来てた
- teapeicoffeead
- 7月13日
- 読了時間: 6分
あっついな。
梅雨明けたらもう翌日からピーカンよ。
空の青さにこっちも真っ青よ。
もうすぐアルバム出来る。
もうすぐ。この夏中にいけたらええな。
唐突ではあるが、考えのアウトプットを行おうと思う。
思い立ったからさ。
音楽とか創作とか、そんなこんなとは別の、自己ってものへの一考察。
仕事の行き帰りの電車の中でメモにしたためてたものをコピペします。
思い至ったその時にどんどん書き連ねていったものなので、
整理されてないし、長くなると思うが。
ま、たまにはそんなんでもええか。健やかに過ごしたいね。
ほんじゃまた。
…
ここからメモのコピペ
…
◎自己
本当の自分、ありそうではあるが、ない。
人間の性格、人格は色んな一面の集合体。
人間も生き物で、動物。自分もそう。
自分の意識を自己であると認識できる、個体ごとに自他の区別がはっきりしてる生き物?
・自他の境界
赤ちゃんはいつ、親と自己を区別するのか。
結局自己とはどこにあるもの?
自分という内面、(心?頭脳?)
主観→個人的な事実
自分以外という外界
客観→出来うる限りの委細な想像
我思う故に我ありは、果たしてそうなのか。
自分=自我→主観と客観を行き来しながら積み重ねる認識、偏見。(ある意味、固定観念)
生まれて、生きて、死んでいくという流れ→一生、生涯
命というプログラムによって生きている
自分の意識で脳や心臓を動かしてはいない。
髪も爪も自分で伸ばしているわけではない。
生命という原動力があって
それが細胞を活動させ、生き物を生かし、
人を考えさせる。
DNAとか反応(反射)とか感情
といった仕組みとか成長、老い、電気信号、それぞれの思考
そういうのが多分、自我の中身ではないかと思える。
生命ってのは、生き物が生きていく仕組みそのものの概念の名前のような気がする。
種を残して滅びないようにするための営み、的な。
→生命活動
無意識下で行われる反射、反応、命の維持に関するはたらき、でいいのか。
◎評価するということ
自分と周囲を比較して初めて、違いがわかる。
外見、内面などなど。
過度な、というか一方的に偏った比較…
贔屓のある比較で劣等感を積み上げ、自分を下げてしまうような評価。
・ゆるし
何かわからないが、脅迫的な縛りがある。
もう赦してくれ、と切に思うことが多々あった。
おそらく、その時に感じているしんどさ、つらさから。
ずっと救われたいとも。
(宗教に縋る気持ちも全く分からんではない)
赦し→今までの自分を救うこと
しんどさから少しずつ解放
自分が一番自分の味方であるべき
物理的に神はいない(みえない)
・つらさから逃げる
自分の存在をなくせたら、どんなに解放されるか、と考えたことがある。
世の中に自分などいなくてもいい存在であると無理やり納得させると、
一時的にふと楽になるときもある。
ありがちなやつ
→自己を肯定できない自己卑下
→欲求をずっと抑圧し続ける
目的意識が湧かず存在意義を見失って
感情の起伏がへり、虚無感、倦怠感だけが浮き彫りになってしまう。
・自己否定の思考
自分が一番最底辺でいれば、
搾取され続けてれば楽で良い、
人の反感を買わなくて良い、
自分がはずれくじを引いて周りが丸く収まるならそれが一番良い、
自分と向き合わなくて済む、
外界と戦わなくて済む、
期待さえしていなければ、嫌なことにも「ほら、やっぱりね」で乗り切れる。
ある意味、絶対的な不動の立場から(この場合、抽象的な最底辺という妄想)
自分勝手な押し付けをしているとも言える
私は駄目なゴミのクズなので、真面目に取り合わないでください〜的な
そこが傲慢さを感じるポイント
しかし、どんなに一時しのぎを続けたとて、そのうち擦り切れる。
蔑ろにされ続ける疲れ、諦め
楽ではあるかも知れないが、
自分の存在価値がどんどん薄れるような気がしてくる
こんなヤツ(自分)居なくても良いのでは?
何も見出せない、楽しさや充実感と真逆の心境。
はっきり言って、健全なわけがない。
(アイデンティティとして不幸、自己卑下キャラで居たい向きの人々もいるようではあるが、自分にはその良さやメリットはまだわかりかねる。ポーズとしてやっているならただの酔狂では)
周囲への羨ましさも消し去ることは難しい。
快くありたいのか(自分が)
善くありたいのか(人から見て)
少ないながらもプライド、自我はあって、多分滅多なことではゼロにはならない。
自ずから見下げている自分とのせめぎ合いは存外苦しい。
葛藤と言うやつか。
しかし中々、答えはわからず。
正答がある、ということ自体が間違いでもあると思うようになってきた。
肯定、受け入れとは。
なにがどうなれば肯定であり、どう感じられれば受け入れなのか。
まだ自身を持って繰り出せる結論にまで到達していないが、
自分の抱いた感情を自然に感じ取り、尊重できれば良いな、とは思う。…といったところ。
どうすれば良いかは分からないなりにも
発し続けたSOSを無視していた事を自覚する、
心の中で無視してきた過去の自分に誠意を持って謝る…
といった苦し紛れの方法で少しずつ否定感情から脱却しつつある。
(そろそろ4年目ぐらいか)
自分はどうありたいのか、生きる目的とは何か、
生まれた意味とは何か、何者かでなければならないのか…
を探っている内はまだ自分が自分であることに気づいてない。
自分探しは遠回りに思える。
実は、生まれながらにして既に出来ていることではないか、とも考えているところ。
…ではあるが、悩むという経験がなくては得られない心理、了見もある。
◎絶対はない
人は観測したがるし、何かと知り得たがる。
全知全能への無意識的な憧れもあるのでは、とか考える。
・絶対性、相対性
人間は2つにはっきり分けたがる。
完全なる何かを求める傾向にあると思う。
正義、悪
幸、不幸
しかし世の中、世界には無数の見方があって、人の数だけある立場で、回っていく。
誰かにとっての何かは、他の誰かにとっての何なのか。
世の中の事象に100%って中々ないのでは、と考える事がある。
自分の中で、今この時自分はどうなのかを感じて、その時々の答えを出せばいいのではないか。
答えは流動的でいいし、前と違った答えが出たなら比較してみるのも一興かとも思う。
両極の答えの間に、無数のグラデーション的な答えもあると思えればまた少し違う気がする。
ヒャクゼロ思考をなるべく減らして、悪くない妥協が出来ると理想かもしれない。
そもそも答えを持ち合わせなければいけないとも思わないが。
人間とて生き物であり動物でもある
他の生き物が答えとか存在価値を念頭に生きているとは考えにくい。
とにかく人ってのは難しく考え過ぎていると思うし、
思い込みとは物凄いモンで、中々変えられないし取り払えない。
プライドを言い換えると頑固さと言えると思う。
自己否定思考が固着すると目も当てられないぐらい焦げ付く。
頑固さが悪さをして自分の精神、考えが不健康であることを認めない。
自分が悪100%であると決めつけたヒャクゼロ思考は手強い。
人の考えにまで言及して、良い方向に導こうとか、改善させようとか
そこまでは自分には出来ないと思う。
ただ自分はこうであった、今はこうであると伝えることしか出来ない。

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