あるがままに…ってやつ
- teapeicoffeead
- 2023年5月30日
- 読了時間: 3分
そこにあるものを、そのままの姿で見、聴き、触り、受け取る。
自分には100%ではないものの、どこかそういう気質があると思う。
言葉の裏を汲み取れなかったり、皮肉に気づけなかったり。
作品に込められたメッセージ性とか、背景にあるものとか。
気づけないと言うことは、認知もしていないワケやから、興味も湧きようがない。
音楽についてもそういうところが出まくってて、
聞こえてくる音以外の情報には思考が及ばない。
みんな、(SNSのフォロワーとか音楽仲間とか)よくそんなにも
いち洋楽のバンドの、メンバーの趣向とか
〇〇のアカデミーを出てるとか、この機材が好きとか
知ってるよなぁと思う。感服してる。いつも。
例えば、△っていうバンドがあったとする。
そのバンドの大体の活動歴から、当時のシーンの流行、
そのバンドが出てきた前後の文脈、そのメンバーが影響を受けた音楽とかバンド。
どういうジャンルから出てきて派生して
何枚目のナントカってアルバムは当時としてはコレコレが革新的で…
ほんまによー知ってる。
意味わからんし、なんでそこまで深掘りできるん。
多分、知ってる方がより楽しいんやろうなぁとは思う。
関連する知識がさらに違う音楽とか違うバンドの情報と結びつく。
地政学と言語学、民俗学なんかが相関的にリンクしてるように。
これは想像力がどのくらい働くかの話でもあるような気がする。
色んな音楽CDを大量に集めて、それなりに聴いてきたつもりではあるけど、
その曲、アルバムって言う単位の情報量から広げられない。自分には。
「これいいなぁ~」
より先がないっていうかね。
なんなら、「このバンドってさ、結局なんやと思う?」
とか議論してるところに出くわすと、結構すぐ立ち去ってしまう。
なんか、どうしてもそこに混じりたくないっていうか。
自分で拒否してしまってるんかなぁ…そうやろうなぁ…
このイチ情報の更に周囲の情報まで関心を寄せて、知ろうとする行為ってのは、
察する能力、意を汲む能力に大いに関係してると思う。
表面的じゃなくて中まで。一点ではなく周囲まで。
おそらくは勝手に知ろうとするっていうか、
周囲の情報をちょろっとさらうまでが1セットなんやろう。
興味があるってのはそういうことなんじゃないかと思う。
まぁ、自分は出来上がった音楽の部分が欲しいのであって、作った人やらバンドメンバーのことは割合どうでもよくて琴線に触れない…のやろうなぁと自分で理解してる。
知ろうとしない。追求しない。
ある意味で究極、無駄の排除と言えるかもしれない。
けど、その無駄もあったほうが豊かに楽しめる。
いやまぁ、範疇によってはね。自分も追求が大好きな場合もあるんですけどね…
大好きな音楽でも、ここまで興味が湧かない事柄もあるもんやなぁ、と。
やっぱり性格とか気質の部分で、情報が多すぎることへの恐れとかもあるかもしれんしな…
大阪の難波あたりの商店街とか、情報量すごくて目が回るしな…
なので、そこにあるものをその姿のまま享受する。見たままの感性で触れる。
結局それが自分なのである。多分。
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