自分の世界と世界と自分
- teapeicoffeead
- 2023年8月6日
- 読了時間: 2分
どこまでが自分でなにがオリジナリティだか個性だか。
一度ははまるスパイラル。
その線引は結局、自分でせんといかんことになる。
そんな定義、誰も知らんし、自然現象とかで湧いて出たりせんからな。
わたくしは音楽をはじめ、作品を作るのが好きである。
頭の中に浮かんだ閃きに肉付けして具現化するのが楽しい。
横文字で表すとアイディアをアウトプット、である。
で、まぁとりあえず思いついたものを何となく作って、ってやってる内に、
それらを気に入ってくれる人がチョロチョロ出てきたりもする。
ありがたい。
そこでふと、自分の「内と外」に気づく。
他者の作った作品。
外の世界は他者で埋め尽くされている。
もちろん自分も、自分の作品も埋もれる。
そんなものをワザワザ見に来て、反応までくれる人がいることには驚きを隠せん。
そこでさらに、自分が作るべきものとは、なんて事を生意気にも意識してしまう。
徹底的に他にないものを求めて、個性を絞り切って。
何者でもない自分を演じていくことになるわけやが…
ここで最近自分がやめた、「SNS」というのが色々と悪さをする。
というかまぁ、使いようにもよるけど。
自分は…
自分の存在意義が薄れるのが怖くなっていくような気がした。
「すごい人」に気に入られなければ一人前じゃない=駄作を作ったような気がしてた。
自己顕示欲?が気持ち悪いぐらい湧いてた。多分。
こうあるべき自分…っぽいのを演じてるような気がしてしんどかった。
他者を意識しすぎてクソだるかった。
やめてしまえばどーでもええことやけど。
ソシャゲの課金しまくって育てたデータ、ではないが…
そのSNS、アカウント内での立場を気にして、
「その自分」が言いそうなこと、言わなそうなことを考えて投稿したりとか。
頑張って緻密に作り上げたSNS上の自分というデータをなんでかめっちゃ大事にしてたなぁー。
あーいう、海の中みたいなトコロで自分って何か?考え出すと
逆に自分とそれ以外が何なのかわからなくなる。
その境界線ってどこにもないし。
勝手にさせてくれよ、創作ぐらい。
基本のスタンスに立ち直ると、
たどり着いた人が手に取ってくれたらいい。
それだけで、あとは勝手にしろ。って感じ。野となれ山となれ。
人を傷つけたりとか、品のない創作はもちろん論外やけど
まぁ細々とやってくさ。
Comentarios