もういない友人がいる
- teapeicoffeead
- 2023年9月10日
- 読了時間: 2分
唐突ですまんが、自分には自死してしもうた友だちがいる。いた。
中学からの付き合いで、よくお宅にお邪魔もしたしウチにも来てた。
ビビンバの通算2回しかやってないライブにも来てくれた。
ちょっと極端なところがあるけどエエやつやったなぁ。
亡くなる直前はやはり、かなりまいってしまってたらしくて…
彼の家族に遺品やら遺書やら、亡くなる直前までの様子なんかも教えてもらった。
これは勝手に自分が思ってること(時々共通の知り合いから言われることもあるが)
でしかないけど、彼と自分は似ている。
趣味嗜好、話題や会話の「間」が合うのもそうやけど、
なんとなく自分の数年前の言動に見えてた。
上から目線っぽくなって悪いなとは思うが。
あー、その考え、ちょっと前にしてたわ…
みたいな。
心療内科のお医者先生いわく。
自分は多分、いわゆるASDだかADHDだかってやつらしいんやけど
友人のあいつも絶対そうやったと思う。
自分ですら「そう」なら、あいつはもっとやん。
ってぐらい、「っぽい」感じがあった。
まぁ、気力とか希望とか生きる意味とか、
答えのない…というか自分で設定せんといかんようなやつが
見いだせなくなったような事が書いてあったけど。遺書に。
心がすり減る感じは、わかる。
自分は昔、料理人の下っ端、「こぞう」とか言われるやつをやってたことあって、
まぁいわゆる可愛がりとか、シゴキみたいなクソったれ系の悪習やん。
どっかでガス抜きができるとか、ある程度ダメージをいなしながら上手いこと立ち回れるような人やったら、悪態つきながらでもやっていけるかも知らんが。
自分は真正面からぶち当たりすぎて軽ーく病んでた。らしい。
色々あって今はそれなりに自分のペースで暮らしてるけど。
その当時は、自分が今の友人のように亡き人になってたかもしれん。
いや、何度かそういうことを実行してた。
全部失敗したからこんな駄文を書いてる訳やけど。
正直、思う。
生きる意味とか、運命とか、そんなもんは無いと。
あるのはただ、両親の性行為の結果、生まれ落ちた自分がおるだけ。
生まれる側はその時と場所を選べはせんし、拒否も出来ない。
産んだ側は、寵愛しろ。
子供の言葉を聴け。否定するな。
良い親であろうとはせんでええし、無理もあかん。
ただ、受け入れて肯定だけはせえよ。
それが親のせなあかんことの第一位やと思ってる。
いや、もちろん世話、育児いろいろあるけど。多分。
話すようになってきたら、対等の人間やねん。
ええから肯定したってくれ。世の中の子供らをよ。
話はそっからじゃい。以上。
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